神社由来

 当諏訪神社の創建は古く、戦国の世が漸(ようや)く終ろうとする、天正四年(1576)年三月のこととされる。祭神は「武御名方尊(たけみなかたのみこと)」である。武御名方尊は、祖父を須佐之男命(すさのおのみこと)、父を大国主命(おおくにぬしのみこと)とし、本社諏訪大社のある信濃国(長野県)の開発に尽力した神として知られている。創建から江戸時代にかけては、当神社に関する古文書の類は残念ながら全く見あたらず、この間の詳細は不明とせざるを得ない。しかし、当神社が中里村の産土(うぶすな)として、村民の寄合や祭の場といった役割をはたしたことは間違いないであろう。なお、境内にある最古の石造物は勢至菩薩(せいしぼさつ)で、「延宝九(1861)年辛酉(しんしゅう)九年二十三日」の年紀が刻まれている。 

 「湖北村誌」によれば、当神社の規模は、大正九(1920)年の時点で境内坪数が五百三十五坪、氏子戸数が五十戸、采田が六畝四歩とのことである。また、明治四十一年十二月二十六日には、北島原の熊野神社(天正五年一月創建)・外川神社(天保二年三月創建)・山王神社、六番作の水神社、南原の稲荷神社、弁天作の弁天神社が当諏訪神社に合祀されている。

 現在の社殿は、大正十五年建立の社殿が老朽化したのに伴い、氏子総代・中里区民その他有志の方々の寄附により、平成十六年十二月に再建されている。社殿は本殿(二・五坪)、祝詞殿(三坪)、拝殿(八・七五坪)からなり、いずれも銅版葺きで、本殿屋根上に千木(ちぎ)一対、鰹木(かつおぎ)六本を備えた堂々たるものである。

 当神社に関わる伝統行事には、元旦の元朝詣り(がんちょうまいり)、正月七日の御備社(おびしゃ)、二月の初午(はつうま)(稲荷さま)、十月の例大祭、十一月の七五三などがある。とくに例大祭には、子供神輿が中里区内を練り歩き、境内では厳粛なる神事のほか素人演芸会がも催されるなど、中里区民のみならず湖北住民の交流の場として毎年盛大に挙行されている。また元朝詣りでは、初詣客に甘酒が振る舞われ、その行列は境内からあふれるほどの賑わいをみせている。

                             平成十七年七月

お知らせ

コラム「江戸幕府の統治」を掲載(平成29年2月1日) 

 

◎平成27年 例大祭の設営準備写真を行事に掲載(平成27年10月15日)

 

◎ コラム「憲法と靖国の問題について」を掲載(平成27年5月19日)

 

◎ 香取神社参拝写真を行事に掲載(平成27年3月13日)

 

◎ 平成26年の七五三参拝を行事に掲載(平成26年11月18日)

 

 

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